パイプ販売・加工・流通のエキスパート
株式会社 名管商会

社長・社員のブログ

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「アンテナ支線 初納入」

6月13日にアンテナ支線を無事納入し、中国製品輸入の実績をあげることができました。
初回納入として品質に重点を置きました。
梱包方法に問題点が見付かり、今後は改善致します。
この縁がきっかけとなり、タングステン・モリブデンの製品ついても道筋をつけることができそうです。

2011.06.21 15:54|日々のこと

「中国出張 - アンテナ支線を求めて」

この度、テクノスジャパン㈱様からアンテナ支線(ステンレスワイヤー)の
ご注文を頂きました。
ゴールデンウィークを利用して、中国のワイヤー製作工場を2ヶ所見学しました。
連雲港市と塩城市にあります。(江蘇省)
見学した感想は、中国の社会インフラが思ったより脆弱であることです。
ステンレスワイヤーは熱処理が重要ですが、電力の安定した供給に一抹の不安がありそうです。
この為、瀋陽の研究所に依頼し、粗悪品の流通を未然に防ぐためSEM検査を徹底します。
今回初めて輸入品を扱うことになります。本件を成功させてさらに安くより良い商品を提供できるよう腕を磨きます。

2011.05.11 08:14|日々のこと

「つながりを意識して」

引越しを終えて五日経ちました。新事務所にもようやくなれて
新たな気持ちで仕事に取り組んでいます。
日々、メーカー様とユーザー様の間に立って今後とも
サービス向上に心がけます。
今回の引越しで、いろいろな人との絆を再確認できました。
社員一丸となって、お金以上に気持ちを回す会社にします。

2011.04.20 10:44|日々のこと

期せずして

日常の仕事に追われ、延びに延びた事務所移転。
あまりにも延びたため、偶然にも新事務所での業務開始日が、娘の誕生日と
重なりました。
ということで、レストランでお祝いしてきました。

山崎川の桜はちょうど満開、娘の誕生日とも同日。
なんとも縁起のいいスタートとなりました。
張り切って働きます。

2011.04.12 11:31|ブログ,日々のこと

引っ越しました

本社事務所を4月11日付で移転しました。
10日の日曜も片づけに行きました。
まだ段ボールに入ったままの書類もありますし、カーテンも来週までつきませんが、
一応の業務を営めるぐらいにはなりました。

引っ越しって面倒だけれど、思い切って決行してよかったと思っています。
いろんな人が出入りする風通しのよい会社にしたいと常々思っていたからです。
新事務所は新瑞橋駅から近く利便性は良いし、弥富通に面していて分かりやすい場所にあるし、
皆様に来ていただきやすいと思います。
お客様用駐車場も準備しましたし、冷たい飲み物をお出しするために冷蔵庫も大きくしました。
それから、安い家具や前事務所のものばかりを使っていますが、余計なものをなくしたことで
グンと清潔感が増し、「事務所」→「オフィス」と雰囲気が変わったのもよかったです。
これも念願だったので嬉しいです。
片づけを終え、昼食をとるために外へでたら山崎川の桜がちょうど満開でした。

桜舞い散る山崎川のほとりで、心機一転バリバリ働きます。
みなさん、どうぞお気軽にお越しください。

新住所 郵便番号467-0064
名古屋市瑞穂区弥富通1-6宝新瑞橋ハイツ201
電 話 052-832-0880

2011.04.11 09:00|日々のこと

東北関東大震災 その③

最近私はよくTVを観ている。するとこんな1コマがあった。
「ワシはずっと頑張らんといけないことになっとるんかなあ…」
と浸水した自宅の玄関でつぶやく漁師さん。80才だけど現役。
船も流され、自宅もほぼ全壊。
30年目の宮城県沖地震でも船と家を失い、一生懸命働いて再建したのにまた同じ目に。
海を相手に働いて家を建て、その海に家を壊される。
でもまた海で働いてやり直そうとしている。
年齢を考えると、あまりにも過酷だ。目に涙が浮かんでいる。
でも、もう“腹をくくっている”のも分かる。
ヘミングウェイの『老人と海』みたいでかっこいい。
傍らで同じく高齢の奥さんがガレキを片づけている。
漁師さんは一人じゃないようで、よかった。
この大地震で「何かが終わり何かが始まる」のだとしたら…。
私は商人として自分の立ち位置を決め、波に足をさらわれないようにしないといけない。
私の仕事は漁師のようにかっこよくはないけれど、灰になるまで働くと決めている。
いささか大げさだけれど、本心だ。
幸い漁師も商人も定年がない。
誰かと、社会と“つながる”ということを考えると、私には仕事しかない。
被災地の復興にも、仕事を通じて貢献したい。
今は日曜の夜。今日は1日ゆっくりできた。テニスもしたし昼寝もした。
あと8時間でまた1週間が始まる。

2011.04.04 09:47|日々のこと

東北関東大震災 その②

震災から2週間がたった。

イチローは日本赤十字社に1億円を寄付したそうだ。
アルピニスト野口健は寝袋を400個、避難所へ届けていた。
小学生の娘は学校の募金箱に入れるため500円持って登校。
それぞれにできる支援の輪が広がりつつある。
そして私は…といえば、特に何もしていない。
内田樹のブログに、災害時における3つの心得がのっていた。
“寛容”、“臨機応変”、“専門家への委託”である。
“寛容”については、逆に“なぜ寛容でいられないか”を考えてみた。
東京電力や政府のみならず、安全なところにいる人たちの買い占め…などに対する批判が飛び交う。
批判も時には大切だが、こんなにも一致団結が求められている時になぜ?
私が思うに、みんな不安なのではないだろうか?被災者に限らず、日本国中が不安なのかもしれない。
この大震災で不安が喚起され、不安が批判へと形を変えているのだとしたら、
慎みたい、と自分に言い聞かす。
そういえば、家ではやめていたお酒が震災の日から復活してしまっている。
こんな能天気な私でさえも不安なのだ。
“臨機応変”については、是非そうありたいと思っている。便乗値上げなどやっている会社もあるようだが、
それは逆だろう。そんなことで儲けても、きっと大切なものを失ってしまう。
“専門家への委託”についてはまさにそうだと痛感している。
避難所で、自動車整備士の方が壊れた自動車からバッテリーを取り出し、
携帯電話の充電器を作ってみんなに喜ばれていた。
レスキュー隊や医師団は、専門知識をもとに、身を粉にして活躍している。
私には特別な技術も知識もないから、こんな時には本当に無力感を感じる。
支援や復興についても、専門家達の構想に頼るしかない。
技術や専門性が高い人ほど役に立てるということなのだろうか。
安全なところにいる私のような一般人ができることはなんだろう…。
不安に支配されず、日常生活を変わらず送ることぐらいしか残念だが思いつかない。
そうやって日々を過ごすうちに、私にも役に立てるチャンスがめぐってくることを祈りつつ。

2011.03.25 10:02|日々のこと

東北関東大震災について

この度、東北関東大震災により被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げると共に、お亡くなりになられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。

あれから10日間、普段はあまり観ないTVで震災関係の報道をよく観ている。
するとこんな場面があった。

30代ぐらいの女性が行方不明の姉の車を見つける。
傍らには、高齢の父親と姉の小学生の息子(この女性にとっては甥)。
消防と警察を呼んで車を切ってもらうと、変わり果てた姉の姿が。

父親と息子は近づけない。女性が代表してご遺体を確認する。
「ギャー、すごい顔。ギャー、お姉ちゃん。」と絶叫。なんとも悲痛な叫びである。
きっと仲の良い姉妹だったのだろう。

神様はいるのかな。こんな辛そうな人を久しぶりにみた。
でも次の瞬間。女性はとてつもなく不安げな表情で立ち尽くす父親と甥の存在を思い出す。
すると、表情が一変。警察官に「見つかってよかった。ありがとうございました。」
と冷静にお礼を述べる。

続けて、「お父さんは年寄りだし、姉の子も小さい。二人とも私が守らないといけないから。」
と一人、警察車両に遺体と共に乗り込み、遺体安置所へ去っていった。

“腹をくくった”瞬間。父親と甥を支えて行く決意をした瞬間。
本当はもっと長い時間、泣き叫んだり、遺体にすがったりしたかったはず。
でも二人のために、こんなにも早く“腹をくくった”のだと思った。


太平洋と共に生きてきたからだろうか。被災された方々は本当に辛そうだけれど、
どこかいさぎよく、しなやかだ。家を流され、肉親を失っても、人間的な暖かさや強さを、
根本的には全然失っていない。

2011.03.23 11:19|日々のこと

名古屋市消防局様からのご注文

2月6日(日)は名古屋市長選挙があり、見事 河村たかし現市長が圧勝されました。
河村市長の人気の高さが如実に反映された結果だったと思います。
以前、名古屋シティーマラソンで河村市長が挨拶された時、
大人以上に子供が大はしゃぎで、写メを取っていました。
うちの娘も、「あっ、河村市長だ。見たい。」と前の方に実物を見に行っていました。
そんな名古屋市の老若男女から絶大な人気の河村市長率いる
「新生 名古屋市役所」の名古屋市消防局から、
選挙後の2月8日(火)に簡易式のタンカーの材料としてステンレスのパイプをご注文頂きました。
これまで縁もゆかりもなかった名古屋市役所からご注文を頂き、
弊社のパイプで名古屋市のお役に立つことができました。
一企業市民として、名古屋市の改革の一端を見る想いです。
これからもご注文頂けるよう、がんばります。

2011.02.15 14:16|ブログ,日々のこと

去年を振り返って

去年を振り返って、あらためていろいろな変化があった年でありました。
まず私事ですが、3月に社長就任しました。
まずは、家業から企業へ成長したいと考えました。
長年親族や家族が働いてきた会社でしたが、
私が社長になってからは、親族とそうでない人の区別をなくそうと
考えました。この考えをベースに細かく会社を変えていきました。
仕事の面では、これまでのやり方が通用しなくなってきた1年でした。
弊社は鋼管の問屋で鉄の商売で儲けていますが、この商売はあらためて
不況業種であることを痛感した1年となりました。
飲み会やゴルフ等もめっきり少なくなりました。
企業と企業の間に立つとはどういうことかを常に考えた1年でもありました。
今年は事務所をお得意様が集う場所にしたいと考えています。
HPの開設も去年です。HPを通じて新たに取引させて頂いたお客様や
プライベートでお付き合いして頂ける方と出会うことが出来ました。
今年も、公私共々更なる飛躍をめざし、去年以上にいい意味での
変化を続けたいと思います。

2011.01.07 14:23|ブログ,日々のこと

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